心配は誰のためにするのか、自覚しろという話
心配かけないでよ!と怒られる。
ご心配をおかけしましたと謝る。
心配したよと言われる。
心配かけることは迷惑なのか…?
心配される側にとっては
心配されて独りじゃない安心感が得られる人もいそう。
その人の気を引きたい欲望が達成されそう。
でも興味のない人から向けられる心配に何の意味がある?
心配したよー、といいつつ、心配する側は相手に何かできたのですか?
連絡を取ってみるとか、様子を見に行くとか、何でもいい。でも何もしてない、ただ気にかかって心配してただけってやつをやる人がいる。
そんなお気持ちを表明されたところで何もしていないじゃん。心配したというのは嘘なのか?心配とは誰のためにするんだ。あなたのお気持ち、相手への潔白を示そうとする気持ちの表明じゃないのか。
「心配したよ」が「(何もできないけど)気にはかけていた、忘れていないよ、許して。」に聞こえる時がある。ふざけるなと思う。
あとは……
「もう、心配かけて、反省しなさい!」
……は?
心配されてもこれっぽっちも私にメリットがないんですけど。自分にお気持ちが湧いちゃったからってそれを私のせいにしないでほしい。心配したくなきゃ見なければ、気にしなければいいじゃん。なぜ私のために心配しているのだと恩着せがましい態度をとるのだ。
表では「ご心配をおかけして大変申し訳ありませんでした」と頭を下げる。
心の中ではご心配おかけするほどの者でもなければ、心配かけたとして私の責任ではないと思っている。心配かけされられたという人に同情できん。
ごちゃごちゃ書いてしまったが伝わっただろうか。
気にかけてもらえるのは嬉しい。けど良い人アピールのため、自分の不安を埋めるためにひとを心配するのをやめてくれ。心配するなら相手のこと理解しようと努めて、行動せよ。
以上、最近のイライラのもとを消化させていただきました!なお深夜につき論旨が迷子になってる感がある。
しらふのときになおすね。
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2018.04.10 09:32
2018.04.10 09:23