予定を入れすぎる話

体力が落ちたと感じたのはいつだったろう。
少なくとも、研究室に通えてた時にすでに疲れやすく、回復しにくく、無理がきかないと感じていた。
趣味や好きなことに関しても体力のなさを感じたのはちょうど半年前ごろか。練習に行けない日があった。今までほとんど皆勤だったから、ショックだった覚えがある。


研究室にいた頃のエピソードで言うと、草むしりがひどくきつく感じた。ただ単に貧血だったのかもしれない。けれど、何にせよめまいと立ちくらみがあり、しゃがんだり立ち上がったりを繰り返す作業がきつくて仕方なかった。かといって怠惰な態度を見せるわけにもいかないから、なんとか乗り切った。
ほんの1時間にも満たない作業だった。昼間にもかかわらずどっと疲れて、机に伏せてた。ああもう草むしりすら自由にできないのか…。

外出する時間にも気を使うようになった。あまり頑張りすぎると翌日がつらい。疲労感が重くて、身体が動かない。その頃からか、加減することを少しずつし始めた。



未だに自分の体力の上限がよくわからなくなってしまう。楽しいことや好きなことも、そうじゃないことも思うようにはできない。このくらいはできるかな、と思った予定が完遂できないことが増えてしまった。
わたし自身も戸惑ってる。けれど、それより周囲に迷惑をかけていることが嫌だ。
行くと言っていて、前日か当日に無理だとわかり、ドタキャンすることの繰り返し。体調が悪いからと言っていて最初は良かったけれど、毎回体調が悪いとさすがに不審だ。無用な心配をかけたくない。迷惑もかけたくない。

でも未だに上手に予定が入れられません。減らせません。
まず、色々と責任の伴う役割を引き受けてしまっている。私が主催なのだから私が休むわけにはいかない。私がいないと練習ができない。そんなことばかりだ。。根本からして無理なのだ。やりすぎ。やりたすぎ。

予定が空いたら入れたくなるし、私のコミュニケーションは放っておいたら自動的にほいほい予定を入れるようになっているらしい。相手の意図を汲んだり、先回りして必要な役割を果たそうとする。
例えるなら、誰か学級委員やる人、と言われて、しばらくしーーん……とした後、つい手を挙げてしまっているようなもの。断固拒否することもできなくはない、できなくないんだけど私には黙っていることが難しいらしい。


そんなこんなで結局土日の予定が埋まりがちなままです。それが遂行できなくて、自信を失くします。申し訳なくなる。
断る言葉を探しながら過ごすことをそろそろやめたい。自分の体力について甘く見積もることをやめたい。ひまを暇のまま過ごせるようになりたい。


明日はなんて断ろうかな。。
最初から行かないと言うことにしたのだけど、出てきた言葉は
「できたらやりたいです。例によって体調次第では行けません、すみません。」
やりたいというのは本当はやっておきたいという意味だ。冷静に考えたらここでやっておくべき。

まるで何もなければ行ける、できるみたいじゃないか。
上手に参加したい気持ちを伝えつつ断る言葉を覚えないとドタキャンが止められないままなのかもしれない。。

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