甘えることと孤独の話
昨日の夜、NHKのハートネットTVでひとりぼっちがテーマになっていた。録画に失敗し、リアルタイムでも観れなかったので来週5/14昼の再放送を観たいところです。
番組の内容はどういう方向に向かうのかわからない。けれどこれが観たいと思う気持ちがあるということは、やはり自身が孤独を感じているんだと思う。そうか、私は孤独を感じていたんだって、はっとした。
孤立しているわけでは無いと思う。家族はいるし、話したいことを話せる友人もいる。そうなんだけど、パートナーに頼っていた部分は誰にも埋められないままになっているみたい。なんていうか、甘えられる人がいなくなっちゃった。
友達はおろか、家族にすら遠慮してしまう。できることは自分でやりたいと思う。何か頼んだり、迎えに来てもらったり、そういう日常の小さなことにも遠慮がある。素直に甘えられなくて、負い目を感じてしまうのだ。
一方、故パートナー氏相手にはそんな遠慮はしなかった。遠慮というよりは、もう相手が何を苦と思い何が簡単にできるかある程度把握していたから、相手のことをわかった上で互いに頼っていた。相手にどのくらいの負担をかけるのかがわかっていて、私も何か手助けしてたからこそ甘えられた。貸し借りの繰り返し。
いまは家族にも、親しい友人にも、遠慮しなくていいと思える相手がいない。私が甘えるのが下手なんだと思う。お願いすることはあっても、それには相応の対応をとる必要があると感じる。気楽にできないのだった。
人とはよく話すし、交流もしたいタイプだとは思う。ツイッターで曖昧につながりが広がってゆくのは嬉しい。みんなのこと知りたいとも思う。
けれどみんな他人で、関わりには遠慮があって、うまく甘えられなくて、自分から独りになってしまっている私もいる。本当に低コストで関われる人がいない。だからエネルギーがない時には孤独になってしまう。周囲の人が悪いんじゃない。私が壁を高くしてしまっている。甘えられないのは私の問題だ。
ごく少数でいいから甘えられる相手を持っておきたい。そうしないといつまでも、パートナーを失ったままの孤独は続いてしまう。
けど、何が違ったのか、どう関わっていけば遠慮せず、負い目を感じずに関われるのか、難しいです。。
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