最近の活動について、今の考えのまとめ

Twitterやらでお騒がせしています。

自死の話、メンタルヘルスに問題を抱える人を支援したい、人の話を聞きたい

そんなことを喋りまくってますね。まずはうるさくしていてすみません。

今日はその動悸や意図を説明しておこうと思います。


これらのモチベーションの根本にあるのは、Nの死と、私自身の病気の2つです。


①自死の話

これはNの死が関わっています。彼と話し、関わっていく中で少なからず考え方に影響を与えたり、捉え方によっては心理療法、カウンセリングのような役割を果たしたりしてしまっていたといえます。日常的に他人と関わる中で誰しもあることです。しかしその程度が大きかった。長い間共に過ごした分与えた影響も大きかったでしょう。

そんな人を最終的に死なせてしまった。根本的な原因はN自身の精神疾患や育ってきた環境、遺伝要因にあるのかもしれない。しかし、Nの死の直前のことに限って言うと私は彼を救える可能性を多少なりとも持っていた。自分を責めていると言うよりは、その私が貢献できたかもしれない小さな可能性を拾えなかったことを悔やんでいるのです。そして、もしまた似たような状況を迎えることがあったなら、次は繰り返したくない。死なせたくない。私と関わる人の命が私の手をすり抜けてこぼれ落ちていってしまうのには耐えられない。

だから、勉強をはじめました。とりあえず、一般の人から専門家まで読めるように書かれた専門書を読んでいます。ハッシュタグ#自殺の危険第3版でつぶやかせていただいています。うるさかったらタグミュート推奨ですm(_ _)m


②生きづらさを抱える人を支援したい気持ち

私自身、精神科のお世話になるなんて、少なくとも4年前までは夢にも思っていませんでした。私もそうだし、おそらく、私の家族もそう。そして、「メンヘラ」になったいま、精神疾患への偏見に嫌気がさしています。無知ゆえの心無い言葉、精神疾患への誤った知識、そして偏見。

これまで知り合い程度の距離感でつながっていた人たちと関わることに抵抗を感じるようになってしまいました。それに、当事者か支援者でもない限り、理解のある人なんてほぼいない。

「これからどうするの?」「早く良くなるといいね」「元気そうでよかった」「良くなってきたね」

挙げればきりがない。精神的に体調を崩して休学しています、とは公表しているけれど、こんな悪意のない言葉に傷ついてしまうことがままある。励まそうとしてくれるのは嬉しいのだけれど、辛く感じてしまう。調子がいい時ならまだしも、調子の悪い時に理解や知識のない人と過ごすのはかなりストレスになる。

悪意はないどころか励まそうとしてくれているのに、それが叶っていない。結果、病み垢、裏垢なんかに避難せざるをえない。理解さえあれば、精神疾患への偏見がなければそれだけでどんなに生きやすくなるだろう。精神的な健康を害してしまった原因は皆それぞれあるだろうけれど、病気になった後のこういった周囲の反応で二次被害を被ってしまうような現状は悲しい。できることなら変えてゆきたい。

私にはインターネットを通じて似たような悩みを抱える人達にも出会えて、居場所ができた。でも必ずしも皆がそううまくできるわけじゃない。何らかの形で精神疾患を持つことによって孤立してしまう人が支えあえるようにできないかな。そして、一般の人にも理解がえられるといいのになと思っています。

さっきの①とも関わるけれど、自死を防ぐためには皆がゲートキーパーであるということを意識していてほしい。いつも寄り添っていられるわけではないから、専門家の支援だけでは不充分なのです。


③人の話を聞きたい

これは主には単なる楽しみです。と同時に、私自身の人生を立て直すための準備。それから、そこまで意識してはいないけれど周囲の人を助けたいという気持ちもあります。

人と話すの好きなんです。とくに元気な時。おしゃべりして午後中つぶしてもいいし、話があう人となら朝まで語り明かすことも何度かしたことあります。そしてそれが楽しい。それだけです。よかったら話しましょう。

それから人の人生の過程や思いを聞きたい。いま20代ですが、同世代の人と話していると、義務教育を終えてみな違う人生を歩みだしていて、いろんなひとがいるなと実感しています。どんな失敗やつらいこともあったかもしれない。私だってこうして収入ゼロ、むしろ治療費でマイナスのぷーたろー生活をおくることになってしまっています。みんな、何を考えてどうやって生きてきたんだろう。それを聞いて、こんな生き方もあるんだとか、ひとの生から学んだりとか、ときに物語を聞くように話しながら一緒に泣き笑いしたり...そんな会話ができたらいいなと思っています。

最後に、周囲の人の助けになりたいというもの。これはさんざん喋ってきましたが危険な考えでもあります。人と話すことは、多かれ少なかれその人に干渉することになります。教育も訓練も受けていないひとりの人間が、困っている相手を助けたいという気持ちだけで相手に介入し、状態を悪化させてしまうかもしれない。カウンセリングはこころの切開手術です。うつ病をはじめとした精神疾患をもつ人ならなおさら、死の危険すらある。それは私自身、Nの死によって身をもって痛感しました。名前も顔も知らない相手にそんな影響を与える覚悟があるのか。

...覚悟も資格もありません。怖いです。怖くて仕方ない。

だから、できるだけ介入しない形で関わりたい。人と話すだけにしても、親密な関係にまでなることは今のところためらいがあります。けれど話したいし相手のことも知りたいので、正直今の私がやりたいように人と関わって事故が起こったらと思うと、危ないんじゃないかなとも考えています。


結論としては、ふつうにお友達としては話しましょう。あなたのこれまでの経験を意識して聞くようなことはしません。他愛もない話とか、今この瞬間の悩みとか、たまには過去のことも話していいけど、特に意識せず通常のコミュニケーションにとどめたいと思っています。

それ以上に、過去のことを聞く場合は、カウンセリングのまねごとのようなことをしてしまわないよう、するにしても安全にできるよう専門家の意見を仰ぎます。もう少し準備に時間はかかるかな。



ということで、近況報告でした。

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