研究と科学との狭間で

私がうつになるまでに、研究への挫折という大きな要因がありました。それに関して進展がみられたので自分用メモ兼ねて書いていきます。


研究、とひと口に言ってもまあ分野によっても時ところによっても、指すものは少しずつ違ってくるでしょう。私が体験したのは、よくある研究室での、よくある分子生物学の実験をしている場での不適合でした。今思うと「適応障害」という名は正しかったのかもしれません。皮肉なことに。


以下、話を単純化してしまいます。
そしてこれは私感です。科学研究に携わる人や周囲の人にも同じように感じられているとは限りません。






今思うと科学研究には2つの側面がありました。
まずは実験から論理的に答えを導き出すという、本来の科学の側面。
もうひとつは、科学研究を行う上での業績や予算や人事やその他諸々の、組織としての側面。



私は前者に憧れて科学の道を歩んできた。研究者になりたいと夢見ていた。……正確には研究者になりたいというより、研究していたかった。
まず疑問がある。条件を変えて実験してみたら、それに答えが出せるかもしれない。答えが出せないとしても、何かの手がかりはつかめるかも。そうしてひとつひとつ、自分の手で確かめながら理解してゆくことは本当に面白い。しかも、自分の疑問や実験の結果を他の人と共有し、それについて夢中になって議論することは何よりもわくわくする。盛り上がってくると喧嘩してるみたいに見えるらしいけど、そうじゃなくて、当人たちはその話をすることに本気になっているだけなんです。実験することも議論することも、非常に楽しく、興奮する時間なのです。
少なくとも私にとってはそうだった。


でも、研究室に配属され、研究者の卵として自分のテーマを進めてみたら、どうもそれだけでは科学研究の世界は成り立っていないようだった。
業績を出さなければ予算がとれない。競争は厳しいものだそうだ。それに、学位を取得した後、然るべき職に就くにも業績が要る。共同研究して論文に名前を載せたいと思ったら信頼のおける知り合いも多い方がいい。


勉強して、実験して、考察して、議論する。
いつしか、そんな本来の科学の楽しみが、科学研究の世界で生きてゆくための様々な要素によって圧迫されていった。


業績のためなら、不要な共同研究でも計画しよう。
業績のためなら、少々不足はあっても結論を急ごう。
業績のためなら、データは少なくても学会発表しよう。
業績のためなら、多少筋が通っていなくても論文を書こう。

……業績のために、研究者として生き残るために、彼らは科学的であることを部分的ながら諦めてしまっていた。そしてそのことを自覚していたのか、無自覚なままかは定かでないが、決して表面化させなかった。
寧ろ、「自分たちは社会の多くとは違って権力には支配されない。正しいことを正しいと言っていい自由な場なんだ。データさえあれば偉い人の言うこともひっくり返せる」なんていう姿勢すら見せていたからたちが悪い。
研究者自身が科学的であることを諦めている上に、科学を至上のものとして考える節があった。自らの思う科学を絶対的に正しいものとして考えるなんて、とても非科学的な態度である。皮肉が効いていて笑えてくる。まるで特大ブーメランのよう(笑)

私には科学的であることを盾に自らを正当化しようとしているように映った。そして、彼らを蔑んだ。なんて愚かなんだ、と。


とはいえ私自身、私の思う「科学的である」ということが正しいのか、自信はなかった。それで、科学的とはなんだろうか、科学の価値を見定めたくて科学哲学に手を出した。この頃には既に私は研究の世界の”外側”にいたのかもしれない。
科学的(論理的?)に考えようとするあまり、わたしは自分自身の考え方にすら懐疑的になったのだった。これは私の誇れる点でもあり、同時に自信を失う危機ももたらした。



私は科学研究の世界に対して抱いていた疑念や不満を身近な人や、直属の上司にも打ち明けた。…つもりだった。
結局、伝わらなかった。科学的でないのではないかという指摘を周囲の人たちは共有できないか、あるいは認めようとしなかった。当時は絶望的に感じられた。かつてから私が抱いていた科学像は、科学哲学には受け入れられたものの、現場の科学研究者には受け入れられないのだった。先述の通り自分のもつ科学像に懐疑的になっていたこともあり、私は疲れ果ててしまった。


これが後に科学研究の世界に絶望し、挫折を決定づける出来事として刻まれた。そして、いきいきと闊達だった私を抑うつの沼へと引きずりこむ最初の要因となった。




……どれくらい共感されるだろう。
これを、科学研究の道歩む人に見せたらどう思うだろう。





今日は、当時居合わせていた研究者の先輩と話をしました。ぶっちゃけどう思っていたのか聞こうと思って。笑

そしたらね、この感覚をわかっていた、と認めてくれた。すごくすごく安心した。あの時こっそりでもそう諭してくれたら孤独にならずに済んだのにな。なんて。

彼は、職業として研究者をやる以上妥協しなければならない部分もある。私には科学的であることを妥協することができなかったのだろうと仰っていた。
その通りだと思った。私もどこかで薄々は感じてた。研究者として生きていくためにはこの不純を受け入れなくてはならないと知ってた。知っていて、でもどうしても妥協できない自分にも気づいていて、絶望感を抱いたのだった。科学研究に道を見いだしていたし、研究する以外に生きていく方法なんて考えたこともなかったから。


ただ単に私が潔癖すぎるあまり、適応できなかった。適応できず、自分の足で立っていることもできないまま、枯れ果ててしまったのでした。

ようやく納得がいった。
ほっとしました。

研究職に拘るのはやーめた。さぁて、どうやって生きていくかぼちぼち考えなくちゃ。

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