わたしの病気との向き合い方

いつか書こう、書こうと思ってたことを書こう。

病気との向き合い方について。



今回の不調は初診が9ヶ月前、投薬治療を始めて7ヶ月ほどです。いまの生活になったのも7ヶ月前で、それから先は休養中ということになります。

この生活になる前、昨年秋までは大都会東京の片隅でパートナーとの関わりを楽しみにしつつ、不登校生活してました。復帰したこともあったけれど大学院は半分も通っていないと言っても差し支えなさそう。遊んだり勉強したりパートナー氏と一緒にいたり、寝込んだりしてた。


抗うつ剤を飲みはじめて、パートナーが自死して、実家に転がり込んだのが7ヶ月前のこと。

それから、少しずつ自分の状況を把握して、治療しようとしてきた。



最初はなにがなんだかわからなかった。

まずうつだのどうのと言う前に、死別のショックが大きくのしかかってきた。

感情がない。から元気と、その後の反動。なにも考えたくない。考えたら苦しくなる。

でもそれを話せるひとは、話したい相手はいなくなってしまった。これが一番こたえた。

年末年始をこの状態で迎えた。

このときはまだ自分に何が起こっていて、これからどうしたらいいかわからなかった。実家でひとりぼっちになっていく。これからなんてどうでもいい。どう生きていったらいいかわからない。私も一緒に逝ってしまいたい。


ひとつめのジェイゾロフトは効かない判定がなされつつあった。マイスリーはブロチゾラムに変更された。




春。死別反応というものを知り、うつのこと、症状のこと、精神障害をもつひとがどんなふうに生きているのかを少しずつ知っていった。

この頃は周囲に対しても自分がうつだと言うことができなかった。だって、診断名が告げられていないもの。自分は病気なんだろうか?でも、うつ病の診断基準は満たさないんじゃないかしら。何が症状で、何に困っていて、診察に通うことでどうなりたいんだろう?治療のゴールは何なんだろう?

主治医に「わたしは何なんでしょうか、診断名というか......うつなんですか」と聞くと、「んー、診断をつけることは難しいんだよね。でも病気だとは言える。それから、周囲にはうつだって言っていいんじゃない」と言われた。わたし、病気だったんだってやっと確信が持てた。


それなら、いますべきことは「治療」だ。

復学でも就職でもなく休むことですらない。

自分の状態を知りたい。何をどう改善して、そのためにはどうしたらいいか知りたい。


自分の状態を把握するために生活記録をつけた。出来事と行動、気分や意欲の変化を明らかにした。

パキシルを漸増すると少し、全体的に調子は良くなった......のかな? ただ、口渇といってやたら喉が乾いて水を飲んじゃう副作用が出た。

いま、夏。パキシルはサインバルタに変更してゆく。

ブロチゾラムはとっくにベンザリンにかわってた。眠れなくなる一方なのではないかというのが少し不安。



「薬でどこまで効果が期待できるんでしょうか。パキシルはだめだったってことなんでしょうか」

「うーん(曖昧な反応)。口渇も出てるし変えないことには仕方ないね。選択肢がいくつかあって、それぞれこんな感じだけど.......どれがいい?」

「それ、私が決めろってことですか笑」

「やー、だって、薬価も関わるし僕が決めちゃうことはできないよ」

(つまり、どれが一番いいか、薬効だけで判断できるほど確固たる根拠がないんだろうな)

私には時間が惜しい。いまこの時を死んだように横になって過ごすのはもう勘弁。やりたいことがたくさんある。(はず。元気な時限定だけれど。) それに、働けていたらここでの治療費なんて大した額じゃないはず。機会損失のほうがずっと大きいよ。それなら......

「じゃ、薬価は考慮しなくていいので、良さげなやつにしてください」

「よーしサインバルタいってみよう」


そうしてひと粒100円以上するカプセルに次を託すこととなりました。



こうして、病気であることを自認して、解決すべき問題を整理して、治療の対象とする。

いまは抗うつ剤の効果をじっと観察しつつ、少しずつ戻ってきたやりたいことを大切にしていこうと思っています。


もちろん、なにもしたくない、なにもできない時だってある。そうしたらまたデータが溜まっていくなと思う。どうして今回落ち込んじゃったんだろうか? 余裕があるならそれは病気と向き合う時間にもなりやすい。

得てしてこういうときにうつ病研究のこと漁ったり、薬のこと調べたりしている。




どこかで自分の精神の動きを観察して喜ぶ自分がいる。

もしかしたらお医者さんだって経験したことがないかもしれない。薬で精神がこんなに影響を受けるってすごいことだ。別人みたいにもなる。人が自分でできることってどれほどあるんだろうか。わたしというのはこんな神経伝達の集まりのことでしかなかったのだろうか。

おもしろい。

すっっごく、おもしろい。

稀有な体験ができているという意味でポジティブに捉えることにして、まだ鬱とは向き合っていくつもりです。


まだ7ヶ月。もしももっともっと長引いて、病気と向き合うのではなく、付き合わざるを得なくなったらその時また考えましょう。


うつは心のがんだ。わたしの思考を邪魔しないで。

頑張らないことを頑張りつつ、勁くしなやかに生きてやる。


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