死への無力、でも決して諦めないということ
人を見送ってきました。病状悪化が原因で故郷へ帰ることになった。
以前にも似たことをしたーー。
朝早く出かけて当人と会う。話す。
病院へ付き添う。荷支度を手伝って、家族のところへ送り出す。家族の連絡先を交換する。
前に一度こういう日々を過ごしたのはN氏の時でした。
その時はこんなに蒸し暑くない、冬のはじめの冷たい風が吹いていた。
それからN氏が緩慢に衰弱して、亡くなるまでにはひと月もかからなかった。
今日、こうして送り出す。
N氏の時のことを思い出さずにはいられなかった。あの時実家へ帰してしまったことが良かったと言い切れない。彼は実家に帰りたがらなかったし、連絡も取りたがらなかった。彼の家族は彼の理解者たりえなかったのだと思う。
それでも最後にN氏は彼の父を頼り、それがきっと最期の会話となったんだろう。
生まれ育った家や家族の元にいることが当人にとってよいとは限らない。私はそれが社会的に妥当だと思われたから家族のもとへ帰した。その責はN氏本人を除けば私にある。
……帰したことを、後悔している。
今度はどうだろう。似ている?似ていない?
でもまった。
過度の同一視は危険だと気づいたのが今さっきのことです。
私は私、N氏はN氏だし、その人はその人なのだ。みんな違う。
どうして光景が似てるからって、同じように郷里へ送り出すからって、こんなにも怖くなるんだろう。それぞれ違う人だし、状況だって違うのに。
全然違う。ひととひとだ。
どうか生きていてほしい。
できれば苦痛なく。
できれば人に恵まれて。
できれば幸せに。
そしてできるならまたいつだって会いたい。会えたい。
そう強く願いながら、願うことの裏にはあらぬ危険性が頭をよぎっていることに気づいて、それでなんでもないふうを装おうとしながら、ばいばいしてきた。
正直なところ怖い。
けれど、関われないまま居なくなってしまわれたらと思うともっと怖い。何もできなかった後悔が自分を蝕むってことはN氏の時にも痛感してる。
できたはずなのにしなかったことへの後悔はとても重い。
電話口の人の声を聞いて終電で会いに行くか迷ったのに行かず、それを最期にもう二度と会えないとしたら。
もっと私に余裕があって、相手の言をよく考えられて、隠れた意味に勘づけていたなら。
もし、相手家族ときちんと連携が取れていて、夜中でも連絡がとれたなら。
相手の父母間の連携がなかった、私自身がたまたま大事な予定の前で疲れていた、相手の好意に確信がもてなくなっていた。
ほんの小さなリスクの積み重ねでも、起こってしまった死は取り返しがつかない。
いつどこで誰が亡くなるかなんてわからない。わからないけど、死は不可逆なんだ。無慈悲にも。
相手の話をよく聴くこと。
リスクをみつけて、減らすこと。
自分も大切にすること。
無力だけれど諦めない。
あなたの味方でいたいと思う。
そんなことしかできないんです。でも、するんです。もちろん相手のためもあるけれど、本当は、ほかでもないわたし自身のために。
あなたの姿を見ていたいから。みたいな感じ。
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