当事者会というものに参加してきた感想...?
はじめて当事者会というものに行ってきました。
......いったいわたしは何の当事者なのか。
「ひとりひとりは皆自分の人生における当事者である」というスタンスならもちろん当事者だ。
が、最近はメンヘラとして生きるのをやめつつあるので、精神疾患の当事者と言われると、どうにも当事者性が薄い気がする。
なんでそんなに当事者でなさそうなのに会に行ったかっていうと、友人が開催しているのに興味があったからです。半分は好奇心、残りは手助けしたいというのが本音かもしれない。何かを話したいというモチベーションは、正直会のその時にはあまりなかった。ごめん。
しかしこれがきっかけで当事者会の存在もその内容も知ることになった。感謝しています。
それで、会の内容はどうだったんだってことは話せません。どこもそうでしょうが秘密厳守ですね。
何をやったかくらいはいいはずなので書いておくと、
参加者が各々困りごとを持ち寄って、時間を決めてそれについて皆で話す。同じような経験をしたとか、自分はこう対処しているとか、こんな方法があるよと制度やらを紹介するとか。
会の中でも誰も傷つけないためのルールにすごく気を遣っていた。他人の意見を否定しない、発言の機会は平等に、話したくないことは話さなくてよいなど。これもおそらく、どこもやっているようなことだと思う。しらんけど。
...つまるところこれって、お話する会ってことなのだろうか。ルールのあるおしゃべり。
相手を肯定して支えるようなカウンセリングみたいな効果は意図されてはいなさそう。第一、相手を助けようとか、どうこうしようとして話しているわけではない。話したい人が話したいことを話せる場というだけだ。
だから、なにか問題の解決を求めて当事者会に行くとがっかりすることになるだろう。そこは解決されなくてもよい場だった。解決されることもあるかもしれないが、人が精神疾患をもったことで抱えている困りごとや悩みごとは誰かのひとことで解決されるたぐいの問題なのだろうか。そういう困難に悩んで救いを求めて行くのはきっと違うよ、と言っておきたかった。
感想。
精神疾患を持つ人たちって、最初はきっと孤独なんだろうと思う。病気になったその時に周囲に理解のある人間がいることは稀だし、そうなると精神疾患という話題について孤独になってしまう。表の人間関係が続いていても、それは病気を抜きにした自分とのつながりだ。偏見も誤解も根強いから話すのに傷つく覚悟とか労力がいる。病気のこともひっくるめて話せる相手がほしいと思うのは自然なことだと思う。
私の場合はそれがtwitterだった。twitterでなら症状のことを気兼ねなく話せたし、私の場合は周りもあたたかく接してくれる人が多かった。当時からフォロワーさんには本当に感謝している。
そういう人間からすると、当事者会って行ってなんになるのか、本音を言えばあまりわからなかった。生身の人間が目の前にいることが重要?個人的にはそうでもない。画面の向こうに人がいることで充分である。
もう居場所はあった。話したいことが話せて、たまに返事がもらえるような場があった。他の人の体験も、twitter上だったりブログを調べたりして結構満足していた。言葉にして自分の体験を綴るのにはこのブログを使っていて、実際に事実や考えを整理するのにはかなり効果があった。
当事者会は、必要な人には必要なんでしょう。私にとってtwitterで済ませていたことは、twitterが無かったとしたら、他に求めることになったろうから。
私個人としては、何の解決も目指さないおしゃべりが無為に思えてしまったのもまた事実です。
それに、この人はもしかしてこれが受け入れられていない、自分で認められていないからこんなに卑屈なんじゃないかとか、参加者の内面のことをいろいろ考えてしまった。ここがカウンセリングルームで、然るべき専門職の人がいて、治療的な発言がなされたならいいなと思う。これはオープン・ダイアローグにも通じるかもしれませんね。
とにかく誰かに話したいとか、これについて語ってほしいとか、カウンセリングで話すんではない内容を話したり、誰かの話を聞きたくなったら、また当事者会に行くことがあるかもしれない。
ここからちゃんとした感想
私個人として、
○普段考えているようなことを話せた。
◎周囲がそれについてどう考えているのか、肯定的なのか否定的なのか、珍しい考えなのかどうかなんかが察知できた。
○いろんなひとがいるなぁと思った。
・目的のない時間が苦手。仲良くなろうとして話している分にはいいのだけれど。
・遠い
・体調がよくなかった (すまない)
・目先の課題があって集中できなかった (ごめん)
次行くかどうかはそのときの悩みしだいです。それに、障害者手帳が出せる圏内のような病気をもった人の中にいるのはすこし疎外感が...ないではなかった。わたしのこれは、重くないから。特定の気分障害と診断できる範疇にない。それにあんまり悩んでいない。ひとことでいったら場違いで申し訳なかった。
未だにPMDDとそれ以外の落ち込みで月1,2回はつらくなることがある。たぶん、なにかのライフイベントによって悪化することはあると思う。そうなるときっと表で健常者に交じってふつうを装っていることが難しくなるんだと思う。けどそれまでは。わたしはふつうの人として、落ち込むことも含めて偏見にさらされながらも話して、人間関係を築きたいです。いまはそれができるのだから。
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