己の内にある精神疾患への偏見との闘い


いつか

精神疾患であることを本当の意味で受け容れられる日が来るのだろうか。

わたしは、周囲から向けられる差別的な目や、無理解な言動、それに苦しめられ病状を憎悪させる当事者たちを目の当たりにして、強い憤りを感じてきた。
近しいはずの人から向けられる無理解な言葉による深い傷も、健常者一般の考え方からくる些細な言葉のあや、それによる小さなたくさんの傷も、悲しかった。分かってもらえないことが悲しい。

こういう思いはフォロワーさんたちへの思いであるのと同時に、自分以外の人社会的弱者に対して抱いているように思う。
簡単に言ってしまえば、彼らを社会の無理解や偏見から救いたいと思ってきた。

(※ひとつ断っておきたいのは健常者対精神障害者という対立ではないということ。差別や偏見はそれ自体が悪であっても、それをする人が悪という訳ではない。健常者の無理解を叩きたいわけじゃありません。)



けれど、どうやらわたし自身、この差別から逃れられていない。
それはメンヘラ界隈の外で、できるだけ自分の精神的不調やそれにまつわる話題をオープンにしてみて、顕になった。

オープンにとはいえ、やっぱり直接的な表現をしたら引かれてしまうのではないか。自分(たち)のことは知ってほしい。でも、どう表現しても、ありのままを伝えたら不快にさせてしまうであろうことばかり。



けれど、その不快に思われてしまうのではないかという考えが偏見そのものではないか。
不快だろうと人が離れていこうと、やはり知ってもらわない限りいつまで経っても関係ない人のまま、他人事のままなのだ。

わたしにはわたし自身がありのまま、病気を持った人のままで人と関わることを、許せない気持ちがあるようだった。


リアルで、人と会った時、軽いノリでメンヘラかよ〜って言われて、咄嗟にメンヘラじゃないしって、否定してしまった。
まるでメンヘラであることが何かいけないこと、恥ずべきことみたいじゃない。
(※メンヘラという言葉に単に精神疾患をもつ人という以上の意味が込められていたという背景もあるけれど)



わたしが表でもオープンでやりたいと思うのにはそれなりの意図がある。
精神疾患であることを隠し続けたくない。
触れられない話題のままでいたくない。
少しでも身近に感じてもらいたい。
そしていつか、誰かが発症したとき、病院に行くことや自分の病気を認めることへのハードルを低くできればと思ってる。

それをどう伝えられるか、伝えられないかはとても難しいことだと思う。決して上手じゃないし。

それもあるけれど、伝えるということ以上に、わたし自身がわたしの病気を認めること、病気であってもいいと心の底から思えるためにも良い試みだったように思う。
隠して健常者の仮面をかぶったまま生きるのは、わたしは、嫌だ。

今すぐにはできなくても、わたし個人は偏見のない社会を想像して、それを実践する。
自分自身のうちにある自分への偏見の目から逃れられていないから、まだまだです。


最近TLで、オタク趣味がバカにされなくなったって話が話題になっていました。
かつては犯罪予備軍呼ばわりされ差別的な記事も書かれていた時代から、ここまでこれた。

精神疾患だって、ろくな医療側の体制が整っていなかった頃や精神科に行くだけで後ろ指指されるようなことは、少しずつなくなってきたのかもしれません。歴史的背景をそこまでちゃんと知らない(※とても悔しい)けれど、ここまで闘ってきた人たちがいるはず。

そういう努力を積み重ねることでしか理解は得られないのだろう。わたしも、そういうひとりになりたい。

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