慢性はつらい話

思えば実家に来てから、1月、2月、3月....

あっという間に4月も半ばにさしかかっている。

その間体調は、気分はどうだったろう。


プラスの日もマイナスの日もある。合計したら圧倒的にマイナス。

1月は親戚疲れでダウン。寝込む。

2月は連日出かけすぎ忙しすぎでダウン。寝込む。

3月も法事の親戚疲れでダウン。寝込む。

4月、まだ大事故はないものの、ゆううつな日が続いている。(ような気がする。元気になると憂鬱だった時のことなんて無かったことのように感じる)


1年の1/3を療養に充ててみて、何も変わっていない気がする。

変わっていないどころか、悪くなっているかもしれん。長時間眠れにくくなった。

(期間的にも症状も、もっとずっと苦しい方もいるでしょう。たった数ヶ月で甘ったれてんなと思われたらごめんなさい。私は私なりにつらいです。)


これが一時的でひどい不調ならどんなに良かったろう。

一時的ということは、治るということ。それに、症状がひどければ周りも自分も気づける。

38度の熱が一週間続くより、40度の熱が2日出たほうがつらそうな感じがする。

ある種武勇伝みたいに語ることもできる。あの時大変だったんだよー、40度とかすごいっしょ、的な。




数ヶ月、年単位で曖昧な不調に苦しんでいる人の辛さは理解されにくい。


周囲、つまるところ家族だけど、どうしても良くなっていると思いたい節があるらしい。元気になってきたねといった趣旨のことを言われる。どこをどう見たらそう思うの?元気になってきたと思いたいだけでしょう、と心のなかで冷たくあしらう。

最初は気を遣ってくれていたし、優しかったのが、だんだん厳しく扱われるようになってきた。無言の働け圧を感じる。優しくし続けるのも疲れちゃうよね。


良くなっていると思いたいのは私の方だ。

疲れてきちゃったは私のセリフだ。

私だってちゃんと自立していたい。こんなとこで両親のお世話になっていたいわけないじゃない。

それができなくて苦しいのに、理解にはまだほど遠いようだ。



先の見えない治療、希望の持てない人生、あまり楽しくない、どちらかといえば辛い日々とあとどれくらい向き合っていなくてはいけないんだろう。


前向きでいないと治せないのは頭では分かっている。治そうという気持ちがなくなったら治るチャンスすら失ってしまう。周囲のためにも自分のためにも投げやりになっちゃいけない。そんなことわかってはいる。

けど、いつまで続くのかわからない闘いの中、ずっと前を向いていられる自信はありません。

時々すべて嫌になりながら、自分のこと見捨てたりもしながら、泥試合を続けてゆくしかないんでしょうか。


そのうち、あらかじめ用意した方法で自分の命を粗末にしないとも限らない。

そこまでいかなくても、通院治療を続ける意志を持ち続けられるだろうか。

すべてに投げやりになって、投げやりな状態が支配的になったら...

ひとり閉じこもって、死ぬことばかり考えてしまったら...



かつて不登校の時期に投げやりな状態、いわゆるセルフネグレクトに陥った時は、支えてくれる人がいた。生きがいのようなものはささやかながらあった。音楽があったし。


いま、生きたいと思えるような支えのない状態

ここでで足を踏み外したら、命綱になるものがない。

死へのリアリティが不安を煽る。



自分がなにをしでかすかわからなくて怖い。


冷静な自分はちゃんといる。

その自分の中の理性くんは何を考えているかというと、


「自殺の成功率は初回の場合5%だとどこかで読んだので、

もしそうなったとしてもきっとまだチャンスはあるでしょう。」

...どん底ポジティブだなぁ。



ゆっくりと、でも着実に、自分の状態に疲れてきているのを感じます。


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