自死遺族だけど新たに恋できるか、わたしの場合
続・恋愛の話
簡単のために自死遺族という言葉を使っているけれど、正確には家族でも無ければお付き合いしましょうと約束したこともないので、正確に言うならば親友という関係でしょうか。
ただ内実は互いにとって家族という言葉が一番しっくりくるし、恋人の死というと伝わりやすいのでそう言っています。「親友」では軽すぎる。受けたショックからしたら自死遺族のそれに近いと思っています。
いつだか、Nが亡くなった後もう恋なんてしない旨のことをつぶやいた。
一生独身でもいいやーって気持ちでいるって。
大げさかもしれないけれど本当に未亡人になったようだったのです。
時間が経って今現在どう思っているか書いてみよう。
パートナーが亡くなって、その人への気持を貫きたいとか、恋する気持ちになれない状態が続くとかも理解できる。
ただ、私たち、結局明確にお付き合いはしてなかったし、その理由のひとつというのが
N「ささみに他に好きな人ができたらその人と幸せになってほしい」(意訳)
というものだった。縛りたくなかったらしい。
ふざけるなと思った、最初は。でも必ずしもNがだらしないとか、無責任だとかもやしだとかそういうわけでもないと思う。
N氏、なんだろう、何を考えているのかわからないことも多かったけれど、ある程度こうなった時に迷惑をかけないように考えていたのかなと思う。わたしがひとりでも生きてゆけるように配慮してくれていた。ときには冷たいと受け取られるだろうけど、最悪の状況に備えた優しさでもあった。私がNに依存しようとしたがるところを止めてくれた。自分に自信がない故だったのかな。それとも私がしつこいから傷つけないようにかわそうとしたのか...(笑)
どっちでもいいです。
どっちにしても、Nも私もそれぞれが自立して生きてゆけることを互いに望んでいた。
わたしの人生はわたしのもの。あなたの人生はあなたのもの。
だからこそいまNのことにこだわらず、新しく恋をした時のことを考えてみても罪悪感がない。
これってすごい稀有な状況な気がしてます。
そして私自身はというと...
今現在好きな人(広義)がいるとしたら、とある50代既婚男性くらいだからまだまだ悩むことはない(笑)
でももしもう少し現実的に恋愛する機会が訪れたら...相当に葛藤しそう。だからいま考えてみる。
Nへの気持ちも、Nとのこともわたしの中の大切な一部分だからそれは大切にしたい。けれどそれにこだわってばかりいるのは停滞することであって、わたしは停滞を望まない。いつかはNへの気持ちも、彼の自死も受け入れて、こだわりすぎず否認もせず受け入れてゆきたい。
Nを大切に思う気持ちを持ったまま他の誰かと共に生きたっていいよね。
ようし簡単です。N氏のおかげもあってかんたん!
べつになにも後ろめたく思わず恋すればいい。
...とはいえ恋愛とはほど遠い生活を送っているのでまぁまだ何も心配いらなそう。
恋人欲しいとも思ってないし。
恋愛じゃなくていいけど良き理解者がリアルのつながりの中でもう少しいてくれたらな、とは思います。あと気軽に遊びに誘える友達。現代美術館とか動物園とか、植物園でピクニックするとか、こてこてクラシックの演奏会とか付き合ってくれる人がいると嬉しい。音楽トークできる相手も欲しい。
最後いらない情報でした(笑)
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