ささみになりたい
ささみは、リアルで面識のある人たちから私の心の負の部分や曝け出せない部分も書けるようにつくったアカウントだった。具体的には精神的な不調の話とか、Nが亡くなったことに関することとか、本音の部分の話題が書きたかった。それに、人間関係の嫌なことをリア垢でつぶやくなんてことできないから。偏見を与えたり余計な心配かけたりしそうだし、いつまでも同じような話をするのはみっともないし。
かつてリア垢だけでやっていけたのは、私の大部分がポジティブな思考でできていたから。素のままでいても余裕でさらけ出せた。はけ口や記録として使っていても問題なかったんだ。
それが今となっては週の半分は死のこと考えてたり、何も楽しくなかったりとても人に見せられる状態にない。
けれどそれを隠して接し続けることはやはり負担がかかる。だし、どうやらそうして繕い(すぎる)ことに抵抗や違和感を感じています。
ささみの関係が広がり、深まるにつれて、私の居場所はささみに移行しつつある。ささみは一時的な避難場所のはずだったのに、むしろ配慮しつつ回していくリア垢のほうが邪魔になりだした。
ささみで書いていることには私の恥や闇や毒の部分もあるけれど、それが今の本当の私だ。本音で生きたい。せめてSNSでくらい匿名の本音を晒したっていいじゃない。見たくない人は見ない権利がある。対面で会っている時と違って関わらなきゃいけないという強制力はない。嫌ならリムーブやブロックできるのがツイッターでしょ?
ささみでいたい。リア垢なんて取り繕うようなアカウントはツイッターに求めていなかったはずだったのに、いつのまにか社会性を気にするようになってた。直接会ってる時はまだしも、ツイッターそういうの求めていなかったはずなのに。あくまで私の日記の延長線として使いたかったはずなんだ。
せめてツイッターではささみでいよう。必要なら、リア垢を畳んでしまってもいいかなと思い始めました。
リア垢を廃止する形で統合する。つまり、リアルで交流がある人たちが望めばささみを覗けるようにしようかなと考え中です。
ほんとうにそうするかは未定。
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