Nの死から学ぶ
Nが亡くなってから半年くらい。
最近ようやっと悲しみや寂しさや彼への気持ちが少しずつ感じられるようになってきた気がします。
彼と過ごした時間を思い出したり、彼の苦しみや葛藤のことを考えていたり、そして、どうしたら彼のことを救えたのか。支えられたのか。またそんなことを考えるようになりました。
亡くなった当初の私は、まず事故のことを調べました。
どんな状況で亡くなったのか間近で見ていなかったから、知りたい。
彼の最期を見届けたい。
執着心かもしれない衝動に突き動かされて、残酷な事故の詳細を知ろうとしてしまう。
彼の身体がどうなってしまったのか、見ていないから...。気になるもの。
それから、彼が死を選ばざるをえなかったのはどうしてかという疑問も私の頭の中を支配しています。心の面ですね。
ASD傾向はあった。抑うつ症状も出ていたようだった。性格や考え方、家族歴、ストレスになっていたこともいくつか思い当たる。
自殺のリスク因子のいくつかにはあてはまっていた。
でもそうじゃない。こういう特徴から彼の内面が再構成できるだろうか。
何を感じて、何を考えて、どんな気持ちでいたのだろう。
これは本人にしかわからない部分が大きいので答えは出ないのかもしれません。
最期に、いちばん建設的で未来につながる興味があります。
どうしたら彼を救えたのか。気づいて寄り添ってあげられたのか。
自死する人の傾向として、孤独感、無力感、絶望感を抱えていることが挙げられる。
私は彼に寄り添っていたつもりで精神的に孤独にしてしまっていたようだ。それが悔しくて、許せなくて、そしていつか再び同じようなことを繰り返してしまうのが怖いのです。
そう、もしもまた自死の危険のある状況に出くわした時、私の浅はかさや無知ゆえに大切な人を救えないなんてことはあってはいけない。Nの死を無駄にしないために。少しでも報われるように。彼から学べることは余すところなく学びたい。
そういう思いが強くあります。
こんな思いを持って、最近は臨床心理学や精神医学や自殺論やら、興味の赴くままに少し勉強を始めました。これはNのためでもあり、半分は自分のためでもあります。私自身精神的には不調を抱えているし、自殺のリスクの幾つかを背負っているから。私が自死してしまっては彼に申し訳が立ちませんから。
自分を守るため、周囲の人のささやかなサポートをするため、Nの死を少しでも未来につなげられるように、できることを考えています。
精神科にかかっていても、患者が自死した後のフォローはなかなか行われていない現状があるようです。そんな風になかったことにされてほしくない。学べることは学びたい。
Nを大切に思う気持ちがひょっとするといつか私を支援者に育ててくれるかもしれません。
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