汗がベタつく。肌がピリピリする。
熱帯夜が続くと寝不足になりますが、例年以上に体調の優れないまま、気づいたらまた夏が来ていた。
寝不足です。
寝不足なのに眠くならないし、寧ろ寝たくないなんて思ってる。投げやりになってる。
そんな今日も熱帯夜。
一応夜中だし、短く書こう。
パートナーが亡くなってから、生や死のことを身近に感じるようになった。
挫折経験が続いて、生きがいと呼べていたものを粗方喪失した。
抑うつと死について考えることは関連している。
……どうして生きるのか、どうして死なないのか。
いつからかこれは私にとって重要な主題のひとつになっていた。一番大きいかもわからない。
生きない理由と死ぬ理由はそれぞれ脳裏をよぎる。しかも、説得力をもって。
生きていても、もう自分のしたいこともすべきこともない。この世に未練がない。楽しいことってなんだっけ。働きたくない。生きることに価値を見出せない。大事だと思えるものが、ない。ただ生きているということだけでお腹がすく。お金がない。生きなければ空腹も痛みも感じなくてすむ。考える苦痛からも解放される。
死にたい。パートナー氏と共にありたいから。彼の死をもなぞってみたいから。生きたくないから。社会的に私の存在は負の価値しか産まないから。人から疎まれるから。孤独だから。家族や、わたしの周囲にいてわたしのことが理解できない人たちから疎まれているから。人の和を乱してしまうから。この世に生きることに絶望したから。生き物の死はありふれたことだから。人の死は通常乗り越えられるものだし、自死ではないように仕掛けることもできよう?周囲への悪影響は小さい。あとは、死んでみたいから…?
“痛みなら、一瞬ですむ”
そんなこと簡単だ。生きることにはコストがかかる。死ぬのが早いほど負の遺産は最小限で済む。自分も苦しまずに済む。
反対はどうだろう。
生きている理由と、死なない理由。
惰性で。毎日生きてきたから生きることが習慣になっている。パートナーの願いだったから。楽しい瞬間が無きにしも非ずだから。周りにいてくれる人がいるから。
パートナーへの償いのため。意外と手段が限られていて手軽ではないから。なんとなくきっかけがないから(≒惰性)。自殺企図は病気によるものかもしれないから。激しい感情、怒りがわかないから。周囲の人への悪影響が大きいから(先に小さいともいったがどちらも本当)。準備が完了できていないから。勇気がないから。
眠くなってきたかも。
こんなふうに生きる理由も生きない理由も、死ぬ理由も死なない理由もそれぞれたくさん抱えてる。
それ故に甲乙つけがたく、結論を導くこともむずかしいのだと思う。
だからまだ生きてるや。
生きる生きない、死ぬ死なない、この4つどれについても肯定も否定もできない。
生きるべきか死ぬべきか、わからない。
わからないから考え続けたい。
…それに、考察が進むほど亡きパートナーへの顔向けもできよう。あなたへ多大なる影響を与えておきながら死に追いやる結果になってしまった、その事実への償いです。
そんで、こうやって指を動かしている。
寝不足も寝不足、もうそろそろ20時間は起きてることになる。普段から寝不足なのに、昨日は寝付けないし今日は投げやりになってる。
生きても死んでもそれなりに理由はあるのだからどちらでも構わない。こんなに気楽なことってあるかしら。
そうして、あてもなく考え経験し続けながら、あるかどうかすらわからない解を探し続けて野垂れ死にます。よていです。
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